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どうも、素人よろづ屋はじめました。

  この度【素人よろづ屋】はじめました。ん、なにそれと思われている方も多いと思うので簡単に説明すると、プロではなくアマチュアの何でも屋です。はい、お気づきの通り言い換えただけです。素人なので格安でやってます。時給100円です。そうです、バカです。そのかわり対象は、本当にいろいろな面で困っているであろう70歳以上の年配のかたで、地域と期間も限定してのよろづ屋です。なんせ素人なので。

 なぜこんなことをしようと思ったのか、今日はそのへんの動機について書きます。

 

1.果たしてぼくは宗教家なのか、それともニートなのか

 

 数ヶ月前からぼくは、宗教家として京都で布教を志しています。布教と聞いてもピンと来ない人もいるので簡単に説明すると僕の場合はチラシを配ったり、駅前で声掛けをしたりしています。

 僕もある拠点となる教会の代表者として、そこから布教に歩いています。教会といわれる施設には、信者さんが何人かいます。そんな信者さんがどうやって教会つながったかは様々で、病気を助けられたり、家庭環境に苦しんでいるところを信仰によって治めたり、または親が信仰していたからなどなど。

 では、僕が拠点としている教会にお越しになる信者さんの人数を発表します。2人です。ご高齢のおばあちゃんがお2人。むかしはもっといらっしゃったようですが、今はお2人になってしまったようです。僕はそんな教会を立て直すべく、ある意味“派遣”のような形で見知らぬ地へ行くことになりました。

 そして今のところ仕事などもせず、布教活動を続けています。

 みなさんお気づきでしょうか?

・教会につながる信者さんが2人。

・布教活動をしている。

この2つを足し算するとある不安要素が生まれます。

信者さん2人+布教活動=

それは「お金がない」ということです。簡単です。とても明瞭です。お金が、なくなります。なんたって、見方を変えればある意味ニートですので。今までいくらか貯めていたものも一気に無くなりました。

そこで僕は一つの決断をします。

 

「よし、やろう、、、布教を。」

 

そうです、バカです。バカですが、これでも宗教家として神様を信じて30年間。まがいなりともいろんな恩があり、なおかつこんなにスゴイこの教えを広めない訳にはいかない。こちとら信念があります。いやもうみんな一回騙されたと思ってこの教えを聞いてほしいです。絶対、第一声で言うから。「騙された」って(嘘です)

 しかし、こんな危機的状況になると、人間本気になるんですね。キッチンの角に追い込まれたゴキブリが飛ぶごとく、僕の知能にも翼が生えたのです。(自分でもよく意味はわかりません)そこで考えたのが初めに書いた【素人よろづ屋】です。これを布教しながら謳おうと決めました。これなら天理教の「人を助けることで我が身も助けてもらえる」という精神にも則っているし、知り合いもできるし、頼んだ方も助かって、お互いに嬉しいかなと思ったのがきっかけです。

 これを自分ひとりで考えた!と言ったらちょっとかっこいいかもしれませんが、これはある講演会できいた話を参考にさせてもらったんです。この間ブログにも書きましたが。

そのへんのことを次章で。

 

2.「信用」の面積を大きくする

 

 ホームレス小谷という人をご存知でしょうか?このあいだ僕も講演会に行って初めて知ったのですが、赤い服をきたでっかい男性のホームレスです。これは前のブログと重複するので、そんなには書きませんが、このかたは自分の1日を50円で売っています。けれど毎日、大好きな寿司をたべて生活し、結婚もしています。言葉は違うかもしれませんがホームレスらしくないホームレスです。

 なぜそんな暮らしができるのかというと、50円といえど、ご飯がいただけたり、仲良くなってそのまま依頼者と飲みにいったりしているからだそうです。さらに大きいお金が必要となったときは、クラウドファンディングすると、今までの50円で仕事をたのんだ依頼者が支援してくださるのだそうです。小谷さんに信用があるから、それがクラファンによってお金に両替されるのだと西野さんは言います。

 しかし、かといって僕はホームレス小谷さんと同じように、寿司が食べたいとかクラウドファンディングしたいとかは思っていません。(ちょっとは寿司食べたい)それよりも、信用の面積を広げることの重要性にそこで気づき、【素人よろづ屋】をやろうと決めました。

 きれいごとかもしれませんが、たとえ寿司が食べられなかったり、特に何か付加価値がなかったとしても、信仰者としての視点があるのでそのへんは別にいいんです。

 では最後にちょっとだけ信仰のはなしを。

 

3.良いことも悪いことも神様はちゃんとみている

 

 天理教では、あらゆる行いは神様がしっかり見ていて、天のノートみたいなもんに控えてあるよと教えられています。めっちゃ見ておられます。

 神様のこころにかなう行い(良い行い)をすれば、誰が見ていなくてもちゃんと神様に届いている。しかしそれは逆も同じで、神様のこころにかなわない行い(悪い行い)も、誰が見ていなくても届いてしまうんですねー。ええ、もれなく届きます。

 別に人生なんて一度っきりだからええやん。って思う方もいると思いますが、残念?ながら天理教では魂は生きどおしで、またこの世に別の体を神様から借りてもどってくるんだよー。もし今世で悪いことしてしまって、まだ返済できてなかったら来世そのぶんの返しがあるからね。ってのが天理教ではおしえられています。

 もちろん前世なんて自分がなにをしてきたか分からないのですが、僕の場合、今世で真面目に通ってはいるものの、ちょいちょい良くないこともしちゃってる自覚はあります。信仰していてもそんなレベルの僕だから、前世、前前世なんかはどうだかわかりません笑

 まあ、そんな後ろ向きなことばかり考えてもどうしようもないので、“今”いかに良い行いを積み重ねるかを、考えるようにしています。だから、見返りとかは考えずに、とりあえず【素人よろづ屋】やってみます。

 ただやっぱりお金はありません。信用も大事だけどやっぱりお金も大事ですね☆この状況、以下に打破するのか(今の所なんの策もない)

 みなさん、乞うご期待です。